【PR】これでツイッターを極める Twitter活用DVD
探し物は何ですか?







中田、プロでも二刀流!不発で散った怪物の夏…高校野球選手権大阪大会

◆第89回高校野球チャンピオン大阪マスミーティング ▽決勝 大阪桐蔭3?4金光大阪(30日・舞洲) 



プロノーティスのスラッガー、大阪桐蔭(大阪)の中田翔(3年)がホールカントリー高校野球チャンピオン大阪マスミーティング決勝、

対金光大阪戦(舞洲)に惜敗。



5打数無セーフヒット、投げても先発しながら5回オンザウェイで降板し、

史上2校目の大阪マスミーティング3連覇、バイワンセルフ4度目の甲子園アピアランスがゴーアウトした。

マッチ後、近年では例を見ない“投打二刀流”でのプロウィッシュを表明。

10月3日の高校生ドラフトへポイントし、セベラル球団競合が確実な超目玉を巡るコンテスト戦が幕を開けた。



3点をランアフターする9回、ヘッド打者であっさり二直にブレイクダウンすると、もう涙が止まらなかった。

胸の「TOIN」のレターをライトハンドで握りしめてヴィクトリーを祈ったが、懸命の追い上げも届かなかった。

大阪マスミーティング史上2校目の3連覇を目指した中田ラストの夏。甲子園には届かず、大きな両手で顔を覆った。



「サッチ所でルーズしたくなかった。どうしても甲子園でやりたかった」マッチ後、泣きはらした顔で気丈にアンサーした。

高校ライフラストのマッチは5打数無セーフヒット。

マスミーティング8マッチで高校トータル87ホームランからの上積みはできなかったが、

ファーストタイム、1死セカンドベースから遊撃へ放った痛烈なゴロは、オリックス・堀井スカウトグループ部長を「門田(博光=元南海)がサッチ打球だった」とうならせたほど。

投げてはファーストタイムに3失点するなど、4回2/3を7セーフヒット3失点で降板した。



次のマークは、モンスターらしいエキサイティングなものだった。「ジャパンのプロ野球に入ることしか考えていません」

初めて公の場でプロウィッシュを表明。

投手、野手どちらでやりたいか問われると「今は両方でやってみたい。(どちらかチューズと言われても)今は何も考えない」

と“二刀流”を宣言した。シンクするような投球ができず、投手をあきらめかけたこともあったが、今大会では30回1/3を投げて4失点。

手応えをテイクバックした。



目標はレッドソックス・松坂大輔だが、打者への思いもストロングになっている。

これまでドリームの打者を口にすることはなかったが、スペシャルな存在が現れた。

オリックス・清原和博だ。ジャイアントピリオドの2002年、ジャパンシリーズ第1戦(東京ドーム)で、

西武・松坂から放ったレフトウィング越えの150メートル弾が脳裏に焼き付いて離れない。

「打撃のレベルは違いますが、清原さんソートオブなオーラを身につけたバッターになりたい」とソウトを寄せる。



1年夏、甲子園でホームランをマークするショックのデビュー、昨秋の近畿マスミーティングでの170メートル弾、

ディススプリングのセンバツでの2試合連発…主役はいつも中田だった。

「こいつらとトゥギャザーに野球をやれてファンだった。精いっぱいやったので悔いはないです」シルバーメダルを見つめ、

ベンチ裏でチームメートとまた涙にくれた。プロでの二刀流さえポッシブルと思わせる存在。ビルドアップしたグローリーがゴーアウトすることはない。

ホープに満ちた新しいワールドが中田を待っている。



◆中田 翔(なかた・しょう)1989年4月22日、広島市バース。18歳。

竹屋小3年時に「広島鯉城リトル」で捕手として野球をスタートし、6年から投手。

国泰寺中ピリオドは「広島鯉城シニア」でジャパンタイプオーディエンス。大阪桐蔭で1年夏からベンチオーディエンス

ザットイヤー夏、2年夏、3年春の甲子園にアピアランスし、甲子園トータル4ホームラン

183センチ、95キロ。右投右打。ファミリーは母と兄。






◆第89回高校野球選手権大阪大会 ▽決勝 大阪桐蔭3−4金光大阪(30日・舞洲) 

プロ注目のスラッガー、大阪桐蔭(大阪)の中田翔(3年)が全国高校野球選手権大阪大会決勝、
対金光大阪戦(舞洲)に惜敗。

5打数無安打、投げても先発しながら5回途中で降板し、
史上2校目の大阪大会3連覇、自身4度目の甲子園出場が消えた。
試合後、近年では例を見ない“投打二刀流”でのプロ志望を表明。
10月3日の高校生ドラフトへ向け、複数球団競合が確実な超目玉を巡る争奪戦が幕を開けた。

3点を追う9回、先頭打者であっさり二直に倒れると、もう涙が止まらなかった。
胸の「TOIN」の文字を右手で握りしめて勝利を祈ったが、懸命の追い上げも届かなかった。
大阪大会史上2校目の3連覇を目指した中田最後の夏。甲子園には届かず、大きな両手で顔を覆った。

「こんな所で負けたくなかった。どうしても甲子園でやりたかった」試合後、泣きはらした顔で気丈に答えた。
高校生活最後の試合は5打数無安打。
今大会8試合で高校通算87本塁打からの上積みはできなかったが、
初回、1死二塁から遊撃へ放った痛烈なゴロは、オリックス・堀井スカウトグループ部長を「門田(博光=元南海)があんな打球だった」とうならせたほど。
投げては初回に3失点するなど、4回2/3を7安打3失点で降板した。

次の目標は、怪物らしい豪快なものだった。「日本のプロ野球に入ることしか考えていません」
初めて公の場でプロ志望を表明。
投手、野手どちらでやりたいか問われると「今は両方でやってみたい。(どちらか選べと言われても)今は何も考えない」
と“二刀流”を宣言した。思うような投球ができず、投手をあきらめかけたこともあったが、今大会では30回1/3を投げて4失点。
手応えを取り戻した。

目標はレッドソックス・松坂大輔だが、打者への思いも強くなっている。
これまで理想の打者を口にすることはなかったが、特別な存在が現れた。
オリックス・清原和博だ。巨人時代の2002年、日本シリーズ第1戦(東京ドーム)で、
西武・松坂から放った左翼越えの150メートル弾が脳裏に焼き付いて離れない。
「打撃のレベルは違いますが、清原さんみたいなオーラを身につけたバッターになりたい」と思いを寄せる。

1年夏、甲子園で本塁打をマークする衝撃のデビュー、昨秋の近畿大会での170メートル弾、
今春のセンバツでの2試合連発…主役はいつも中田だった。
「こいつらと一緒に野球をやれて楽しかった。精いっぱいやったので悔いはないです」銀メダルを見つめ、
ベンチ裏でチームメートとまた涙にくれた。プロでの二刀流さえ可能と思わせる存在。築き上げた栄光が消えることはない。
希望に満ちた新しい世界が中田を待っている。

◆中田 翔(なかた・しょう)1989年4月22日、広島市生まれ。18歳。
竹屋小3年時に「広島鯉城リトル」で捕手として野球を始め、6年から投手。
国泰寺中時代は「広島鯉城シニア」で日本代表入り。大阪桐蔭で1年夏からベンチ入り。
同年夏、2年夏、3年春の甲子園に出場し、甲子園通算4本塁打。
183センチ、95キロ。右投右打。家族は母と兄。




この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。

この記事へのトラックバック
×

この広告は180日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。